3原子分子の異性体間遷移の力学

化学反応の反応時間を見積もる上で,力学的な立場で通常行われているのは,
系が状態遷移する際に乗り越えるべきポテンシャルエネルギーの障壁の高さか
ら見積もるという方法である.ここでは平面上の3原子分子系の2つの鏡像異性
体間遷移について,遷移時間の見積もりを考える.しかし,ポテンシャルエネ
ルギーの障壁の高さから遷移時間を見積もる方法は分子運動の幾何学的効果を
取り入れていないので,実際より遷移時間を長く評価してしまうことが知られ
ている.それは,運動エネルギーを振動エネルギーと回転エネルギーに分離し
たとき,振動エネルギーの項に分子の変形が異性体間遷移を促進する項が現れ
るからである.このため,Yanaoらは全角運動量と全運動量が0の下で遷移を促
進する項と元のポテンシャルを足して時間平均をとった有効ポテンシャルのエ
ネルギー障壁の高さから遷移時間を見積もった.

本報告では,全角運動量が0でないとき,Yanaoらの方法にならって有効ポテン
シャルを導出し,そのエネルギー障壁の高さから遷移時間を見積もることを考
える.全角運動量を大きくすると,有効ポテンシャルのエネルギー障壁が低く
なることにより異性体間遷移を促進する効果と,回転エネルギーが大きくなる
ことにより異性体間遷移を抑制する効果があり,これらの効果が競合する.そ
の結果,全エネルギーの大小で全角運動量に対する依存性が変わり,有効ポテ
ンシャルのエネルギー障壁の高さのみからでは遷移時間を決められないことが
わかった.

また,元のポテンシャルの鞍点は,有効ポテンシャルでは鞍点ではなくなり,
有効ポテンシャルは元の鞍点の近傍に安定点を持つため,元の鞍点近傍から,
どちらかの異性体配位への遷移時間を定義できる.元の鞍点近傍から選んだ初
期状態と,一方の異性体配位から元の鞍点に遷移してきた状態に対して,それ
ぞれの遷移時間の平均をとると,両者は異なっていることがわかった.つまり,
過去の状態の履歴依存性を持っていること,すなわち,元の鞍点近傍では局所
エルゴード性が成立していないことがわかった.