力学系は物理量を持ち、物理量は値を持つ、
というのは当たり前のことと思われるだろう。
例えば、ボールには運動エネルギーが定義され、ある時刻における運動エネルギーの値は10ジュール、
と記述することにためらいはないだろう。
しかし、量子論ではこのような記述は安易にできなくなる。
量子系では、物理量の値は確率的にしか定まらないとか、
複数種類の物理量が同時に確定値を持てないことがある、
といったことはよく知られていると思う。
じつは、コッヘン・シュペッカーの定理は、
「同時に値を確定できるような物理量の値に関する恒等式(つまり100パーセントの確率で成立する関係式)が、
量に関する恒等式としては成立しない」ことがあると主張する。
つまり、量と値の間には微妙な、しかし歴然とした差がある。
平たく言えば、量子系は物理量を持ってはいるが、
物理量がつねに何らかの値を持っていると思っていると
(我々が)間違えることがある。
ベルの不等式や、クラウザー・ホーン・シモニー・ホルトの不等式
(古典論では成立するはずの不等式が量子論では成り立たない)
も同列の主張ではあるが、
コッヘン・シュペッカーの定理は等式の形で書かれる
(古典論では成立するはずの等式が量子論では成り立たない)。
不等式の破れと等式の破れのどちらが衝撃的に受け止められるかは感性の問題かもしれないが、
いずれの定理も、量子系を記述するときには論理を慎重に用いる必要があることを警告している。
今回のコロキウムはこのような話題を解説する。
また、時間に余裕があれば、マーミンの野球原理(冗談みたいな名前だが)についても紹介したい。
参考文献:
[1] J. S. Bell, "On the Einstein-Podolsky-Rosen paradox", Physics 1, p.195 (1964).
[2] S. Kochen, E. P. Specker, "The problem of hidden variables in quantum mechanics",
J. of Mathematics and Mechanics 17, p.59 (1967).
[3] J. F. Clauser, M. A. Horne, A. Shimony, R. A. Holt,
"Proposed experiment to test local hidden-variable theories", Phys. Rev. Lett. 23, p.880 (1969).
[4] David Mermin, "Hidden variables and the two theorems of John Bell", Rev. Mod. Phys. 65, p.803 (1993).
[5] ディヴィッド=マーミン(町田茂訳)「量子のミステリー」(原題 "Boojums all the way through")(丸善, 1994).
[6] J. Conway, S. Kochen, "The free will theorem", Found. Phys. 36, p.1441 (2006).
[7] 小澤正直「量子集合論と量子力学の解釈問題」数理解析研究所講究録1525巻, p.62 (2006).
[8] 小嶋 泉「代数的量子論とミクロ・マクロ双対性」数理科学 (2007年7月号).